聖マリアンナ医科大学病院 レシピエントインタビュー第2回目は、約5年半前にお父様がドナーとなり生体腎移植手術を受けられた、末野友樹さんです。
血液透析をされていたころのお話や、移植後にご結婚、お子さんにも恵まれ、新たな仕事にも挑戦し、充実した毎日を過ごしていらっしゃる現在の様子などをお聞きすることができました。
末野さんが移植を受けるまでの経緯
- 1988年(3歳頃) 蛋白尿、血尿の症状が出る
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2007年(22歳) 血液透析導入
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2008年(23歳) 生体腎移植手術
透析導入へ
病状が出る前までの生活について教えてください。
末野さん:
3歳の時に喘息にかかり緊急入院することになったのですが、その病院で検査をしたところ、尿蛋白や血尿が若干あると言われ、その後22歳で透析導入するまでは経過観察ということになりました。それ以外は、普通の人と変わらない生活を送っていました。中学、高校では、毎日のように夜遅くまで部活(吹奏楽部)をやっていて、活発な学生生活を送っていました。高校までは病院にも定期的に通っていたのですが、大学になると、ほとんど通わなくなりました。
病院に通わなくなったのは、医師から特に問題がないと言われていたからですか。
末野さん:
そうです。その後は学校の健康診断の尿検査で毎回再検査になっていたのですが、そのたびに近くの病院に行き診断書をもらって終わり、というようなことを繰り返していました。
お父様(ドナー):
親としては心配でしたので、息子が高校生の時に漢方薬を飲ませようとしたのですが、息子はそれが嫌だったみたいで、結局長続きはしませんでした。
その後、2007年に聖マリアンナ医科大学病院に行かれたのは、検査が必要だと言われたからでしょうか。
末野さん:
そうです。大学卒業間近の当時、ある企業から内定をもらっていたのですが、就職が決まると健康診断があるため、事前に近所の病院で診断書をもらっておこうと思い検診に行きました。その検査でクレアチニンが既に16mg/dl(男性基準値:0.6~1.2mg/dl)もあることが分かりました。検査結果は翌日に出るのですが、翌日私が病院に行く前に電話がかかってきて、「すぐに病院に来てください」と言われ、病院に行くと至急精密検査が必要だということになりました。その後、聖マリアンナ医科大学病院の横浜市西部病院を紹介され、そこで血液透析導入ということになりました。
貧血などの症状は無かったのですか。
末野さん:
今思えば、いろいろな症状が出ていましたね。例えば、電車の中に長時間座っていたりすると脚が異常に痺れたりとか、夜寝ていると鼻血が大量に出てベッドが真っ赤になっていたりとか。また、階段を上るだけで激しい動悸がしたりもしていました。でもそのような症状も徐々に出始めたので、「運動不足なのかな」とか、「ちょっと体が疲れているのかな」くらいにしか思っていませんでした。
息子さんが血液透析導入になった時には、どのようなお気持ちでしたか。
お父様:
実は、妻も以前から血液透析をしていましたので、「とうとうそうなってしまったか」という気持ちでした。
移植を決意するまで
腎臓移植については、当時既にご存知だったのでしょうか。
末野さん:
はい、母と母方の祖父が透析をしていましたので、移植についても知っていました。祖父はもう亡くなっているのですが、母は現在も透析をしており、もう15年くらいになります。
お父様:
私は移植については、ニュースで見聞きする程度で、ほとんど知識はありませんでしたね。
透析導入後、すぐに移植を検討されたのでしょうか。
お父様:
すぐに移植ということは思い浮かびませんでした。ただ、息子が入院した際、同じ病室の患者さんが、息子には「移植をしたい」という気持ちがあるということを、息子が部屋にいない時に私に話してくれたのです。子どもから親に直接は言えないだろうと思って、その方が気遣って私に言ってくれたのだと思います。
末野さん:
それは知らなかったですね(笑)。ただ、その時私にはそのような気持ちは全くありませんでした。西部病院の先生が、「移植という選択肢もあるよ」と話しに来てくださったのですが、私としては、「父から腎臓提供を受けて生活環境の改善を目指すほど、果たして自分には価値があるのか」という思いが心の中にありました。ですので、先生には、「元気な人のものを貰ってまでは嫌です」と答えていました。恐らくその会話を聞いた同じ病室の方が、さまざまなことを感じとって、父に話してくださったのではないかと思います。
お父様:
私から息子に移植の話をした際に、息子は、「せっかく腎臓を貰っても、人間として大層なことができない」と言ってきたので、親としては、「これからも普通に生きてくれればいい」という話をしました。
最終的に、移植手術を受けようと思ったのはなぜでしょうか。
末野さん:
日常の生活にさまざまな制限があることや、透析のために残業ができず仕事に支障が出ていたこと、それに加えて私は一人っ子のため、親の将来のことが心配でした。これらの心配を移植によって解決できるかもしれないと考えて、手術を決意しました。
また、血液透析をしている時に、仲の良い友達に、「将来子どもを持つことは諦めている」とか、「移植はやめておこうと思っている」というような話をしたときに、「それはお前の驕りだ」と怒られたのです。当時はひどく頭にきたその言葉が、私の心に強く残り、それも移植を決心するきっかけになりました。
お父様はドナーになることに対して不安はありませんでしたか。
お父様:
もちろん、手術をするということは生命の危険が全く無いというわけではないと思いますので、心配はありました。また、前職を早期退職し、再就職予定でしたので、再度仕事ができるのかという不安もありました。ただ、親として提供するのは当然なことだと思っていました。
また、息子の生活や水分・食事の制限に対して、より自由度が増えるならば提供したいと思いました。手術開始直前まで不安はありましたが、「なるようになる、先生にお任せする他ない」と考えました。
提供後、最終的には老人介護の仕事に就きました。経験も無かったですし、夜勤もあったので、私にできるのだろうかという不安はあったのですが、今も続けることができています。