自治医科大学附属病院 レシピエントインタビュー第3回目は、約3年前に奥様がドナーとなり、生体腎移植を受けられた、瀧川欣治さんです。
透析治療中のお話や、移植手術に臨むまでのお話、そして移植後意欲的に様々なことにチャレンジしていらっしゃる現在の様子を、瀧川さんご本人と、ドナーとなられた奥様からお聞きする事が出来ました。
瀧川さんが移植を受けるまでの経緯
- 1991年頃(55歳) 腎不全の症状が出始める
- 1996年(60歳) 保存療法開始
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2009年(73歳) 血液透析導入
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2010年8月(74歳) 生体腎移植手術
痒みとの戦い
腎不全の症状が出始める前はどの様な生活でしたか?
瀧川さん:
小学1年生の頃に肋膜炎(胸膜炎)※ を患った以外は特に病気をすることもなく、普通の生活を送っていました。足も速い方で、高校生の頃はマラソンで学年上位に入ることもありました。
しかし、50代で軽い脳梗塞を起こし、痛風を患ってからは健康とは言えない状況になり、総合病院の内科に通院を始めました。
※肋膜炎(胸膜炎):肺の外部を覆う胸膜(壁側胸膜=肋膜・肺胸膜)に炎症が起こる疾患。
その後いつ頃から腎不全の症状が出始めたのですか?
瀧川さん:
55歳頃から腎不全の症状が出始め、60歳頃からは保存期療法を開始し、病院の指導を受けながら食事療法を続けました。70歳で勤めていた高校を完全に退職し、その後、73歳で透析導入となりました。
透析中の生活はどのようなものでしたか?
瀧川さん:
週3回、移動時間も含めると1回5時間程度かかりましたので、時間の面で大変苦痛でしたが、透析なしでは生きて行くことができませんので我慢して通っておりました。
奥様(ドナー):
私は主人の透析施設への送り迎えをしていたのですが、たまに透析施設から「今日は開始時に針が上手く入らなかったので迎えの時間を遅らせてください」というような連絡をもらうこともあり、主人は辛い思いをしているのだろうな、と思っていました。
また、食事には気を付けていたのですが、どうしてもリンの値が高く、身体中が痒く、薬を塗ってあげるのですが、それでも痒みが治まらない状況でした。薬を塗ってあげている私の方まで痒くなりそうでしたね。