一筋の光
透析導入時に腎移植に関してはご存知でしたか?
瀧川さん:
腎移植という治療があることは知っていましたが、自分に移植の選択肢があるとは思っていませんでした。透析施設の医師からも腎移植に関するお話はありませんでした。
ご主人(ドナー):
私も腎移植は、親、兄弟のように血縁関係のある親族しかドナーになることが出来ないと思っていました。
そんな矢先、テレビ番組の『徹子の部屋』に、バブルガムブラザーズのブラザー・コーンさんが出演されており、奥様から腎臓を提供されて元気になったというお話をしていたのです。それを観て「夫婦間でも移植が出来るのだ!」という事を知り、翌日、早速その時主人が通っていた病院の先生に相談しました。ところが、当時私は70歳でしたので、先生は「ドナーになることが出来るのは65歳くらいまでなので難しいでしょう」と言われ、夫婦間移植の選択肢など少しも無いような感じでした。私からは駄目元でいいので、紹介状を書いて欲しいと頼みました。
先生、65歳以上でドナーになる方はどの位いらっしゃるのでしょうか?
八木澤先生:
最近は、70歳以上の方でもドナーとなる方が増えています。日本の腎移植件数1500~1600件中、100件くらいはドナーの年齢が70歳を超えている状況です。
夫婦間でも移植が出来ると知った時はどの様なお気持ちでしたか?また、ドナーになることに迷いはありませんでしたか?
奥様(ドナー):
夫婦間で移植が出来ると知った時は、大きな光明を見いだした気持ちでした。
そして、ドナーになることには少しの迷いもありませんでした。透析で痒みが止まらない主人を見ていて、なんとかその痒みから開放してあげたい、という気持ちが強かったです。
八木澤先生との出会い
その後、自治医科大学病院を受診されたのはいつ頃ですか?
奥様(ドナー):
透析施設の先生には10月に紹介状を書いて欲しいとお願いしたのですが、なかなか書いてもらえず、最終的には看護師さんから頼んで頂き紹介状を書いて頂くことが出来ました。紹介状をお願いしてから2ヵ月後の12月の事でした。
紹介状を頂いた翌日の朝5時に起きて、すぐに自治医科大学病院に伺いました。外来で状況をお伝えしたところ、「八木澤先生の外来は金曜日ですので日を改めてお越しください」と言われました。ただ、そこで諦めきれず、「紹介状だけでも預けさせて欲しい」とお願いしたところ、「本日八木澤先生は手術日なのですが連絡してみます」と言ってくださり連絡を取って頂くことが出来ました。
ドキドキしながら待っていると、白衣姿の八木澤先生が現れ「金曜日に予約を取りますので、明後日にお越しください」と言ってくださいました。この時の八木澤先生の優しい対応が、私達夫婦に移植に対する安心感を与えてくださいました。
瀧川さん:
八木澤先生に初めてお会いした時の情景は今でもはっきりと覚えています。神様に会ったような感激でした。
後日、八木澤先生の外来で移植に関する説明をお聞きし、移植コーディネーターの方から今後の流れについての説明を受けました。
決心の時
ご主人は八木澤先生とお話しされた時には移植を受ける決心はされていたのですか?
瀧川さん:
私は妻の身体を傷つけてまで移植をすることには反対でかなり消極的でした。妻の「挑戦して駄目なら諦めるから」という強い意志に押し切られて八木澤先生の外来に伺ったのを覚えています。その後も移植手術後の妻の身体が心配で、移植直前まで意志が固まりませんでした。しかし、妻から「思い切って一線を越えないと何も変わらないでしょう」と説得され、現在の医学を信じ、八木澤先生を信頼して透析から抜け出すことに勇気を持って立ち向かおうと心を決めました。
移植の相談をされてから、実際の手術までの期間はどのくらいでしたか?またその間気を付けていたことはありますか?
瀧川さん:
2009年12月に組織適合性検査を行い移植が可能だというお話を頂きました。目の前に一筋の明るい光が見え、幸せな新年を迎える事が出来ました。そして2010年の年明けから様々な検査を行い、2010年の8月に手術日が決まりました。手術までは体調を崩さないように注意して生活しました。
ドナーとなられる奥様は手術に対しての不安はありませんでしたか?
奥様(ドナー):
様々な検査が進む中での主治医の先生の対応から、移植に対する不安を感じる事は一切ありませんでしたので、私の中には希望しかありませんでした。不安や心配は一切なく、希望で胸が一杯で、一つ一つの検査を祈るような気持ちで受けていました。