同じ轍を踏まないために

そして無事に献腎移植手術を終えられたわけですが、術後の経過はどうでしたか。

浦上さん
約8時間の手術が終わると、家族からも隔離された個室で、幻聴・幻視と付き合いながらの入院生活が始まりました。2週間くらい、看護師さん以外の誰にも会えませんでした。しばらくすると、先生から、「もうそろそろ退屈してきたでしょう」と言われたのですが、幻聴と幻視とで、それはそれで楽しかったですね(笑)。意識はしっかりしているのですが、何かが見えるのです。何も無いはずなのに、何かが動いたり、頭の中にずっと音楽が流れたりしていました。


吉田先生
ICU症候群※ のようなものですね。今は、腎移植手術後はすぐに家族に会えますので、そのような状況にはなりません。
※ 手術後に、点滴や医療装置につながれて身体的に拘束された状態が続く上に、単調な機械音や一定の照明によって睡眠が障害されたり、家族との面会の制限や時間の感覚がなくなることで、精神的に不安定となり、不眠、幻覚、妄想などの精神障害が生じること。術後精神病とも呼ばれるが、ICUの患者に多いため、ICU症候群とも呼ばれる。


浦上さん
そして移植後は、1日3時間の血液透析が待っていました。術後2週間ほど続いた毎日の透析は、とてもきついものでした。

献腎移植後は毎日透析をしなければならないのでしょうか。

吉田先生
献腎移植では術後すぐに尿が出ないことがありますので、その間は血液透析を行います。浦上さんの移植当時は、毎日2~3時間の透析を行いました。現在は良い薬剤がいろいろありますので、通常のペースで血液透析を行います。心停止後ドナーからの献腎移植であれば、1週間に3回ぐらいです。


浦上さん
約8時間の手術をした後は、ものすごく体力が落ちていたので、毎日3時間の透析はとてもきつかったです。それに加えて、ご飯もそれほど食べられない、水分も取れないという状態なのに、点滴を付けたままで、ベッドから動かされるのです。病室から移動する際には、「感染しないように」と言って、頭に布を被せられたりしていましたね(笑)。


吉田先生
当時は、感染を起こしたら大変だということで、病室から移動する際に患者さんを白い布でぐるぐる巻きにしていました。今考えたら全然意味がないのですけれど(笑)。当時は実際に、感染して肺炎を起こし、敗血症で亡くなる、ということがありました。

その後は徐々に回復されたのでしょうか。

浦上さん
移植手術後、つらい状況はありましたが、なぜか「うまくいく」との思いはありました。「これでまた、普通の生活に戻れるかな」と思っていました。
その後、徐々に尿が出るようになり、血液検査の数値も下がり始め、主治医から、「クレアチニン値がもう少し下がれば、透析をしなくていいですよ」と言われた時のうれしさは今でも覚えています。順調に回復し、術後2カ月で退院して、すぐに職場復帰しました。


吉田先生
当時は献腎移植手術の入院期間は、生体腎移植の場合よりも1.5倍くらい長かったです。

現在の入院期間はどのくらいですか。

吉田先生
現在当院では、生体腎移植も献腎移植も、入院期間は約1カ月です。
1カ月というのは、急性拒絶反応が起こる期間が、大体、移植後1カ月間だからです。術後2~3週間したら、外出や外泊をしながら病室に居ていただくだけなのですが、血液検査を2日に1回くらい行い、拒絶反応の兆候がないかどうかを調べます。現在は良い薬があるので、急性拒絶反応はほとんど起こりません。

2回目の移植後の気持ちは、1回目の時とは違いましたか。

浦上さん
やはり透析の期間も長く、職場にもだいぶ迷惑をかけていましたので、移植できたことの喜びと感謝の気持ちは大きかったです。それと、一度腎臓を駄目にしてしまい、反省しているので、「絶対に同じ轍は踏まない」と思っています。「健康」が最も大切ということで、それを第一主義にしています。1回目の移植をしたころは、「仕事・遊びが第一」でしたけれどね(笑)。

夢を叶えて

2回目の移植後の経過はどうでしたか。

浦上さん
2回目の移植から2年後、37度6分ぐらいの微熱が続いていたので、「風邪かなあ」と思い気軽に病院に行くと、「血液の数値が全て下がってしまっているので、すぐ入院してください」と言われました。それから、免疫抑制剤の血中濃度を下げるのに3週間ぐらいかかりました。


吉田先生
その時は、免疫抑制剤の副作用で、白血球、赤血球などの数値が全部下がってきており、感染症を起こす可能性が高かったので、個室に入院してもらいました。現在では、そのようなことはほとんどありません。


浦上さん
退院後、新しい免疫抑制剤を服用するようになって体調も良くなり、体力もついてくると、小学校のころからの夢がむくむくと湧きあがってきました。 その夢は高等学校の保健体育の教員になることでした。吉田先生に転勤のご相談をすると、「大丈夫でしょう」とのご意見をいただき、工業高校への転勤が決まりました。


吉田先生
浦上さんは、その頃はとても生活が安定していましたので、「何かが起こっても、ご自身で気付くことができるだろう」という推測ができました。

夢であった高校の保健体育の教員になられてからの生活はいかがでしたか。

浦上さん
当然実技の授業がありますので、ほとんどの種目は生徒と一緒に実施していました。でも、もし自分の教えている生徒が腎移植者だったとしたら、格闘技は勿論、球技等でも接触プレイで移植腎を圧迫してしまう危険性があるので、本人からの希望があっても授業を受けさせるのは躊躇すると思います。ただし、私の経験から言えることは、「どの種目でも少しの配慮があれば、参加は可能だ」ということです。例えば、野球では、接触が少なく強いボールが来ない外野にする、柔道では乱取りはさせない等です。

高校陸上部の部員生徒と一緒に


浦上さんは授業以外でもスポーツをしていらっしゃるのですか。

浦上さん
スキーをしています。以前、家族でスキーに行った時に、転倒して腹部を打ってしまいました。打ち所が悪かったら緊急入院になっていたと思います。出血などはなかったのですが、心配で病院に行ったら、吉田先生に、「何でそんなことをするの?スキーなんて、俺でもやらないのに」と言われてしまいました(笑)。スキーは今も続けていますが、斜面を選んで、のんびりと滑っています。

先生、移植後のスポーツでやってはいけないものはありますか。

吉田先生
サッカーなどの、打ったり蹴ったりするようなコンタクトスポーツは勧めません。逆にお勧めは、水泳、ウォーキングや、魚釣りなどです。