世界でただ1つの授業
浦上さん:
高等学校の保健体育の教員になってから、保健の授業だけではなく、ホームルームやクラブ活動など、さまざまな場面で、透析や移植について話題に出すようにしました。移植後、転勤した2校目に勤務している時、米国で心臓移植を受けた生徒が入学してきました。入学してすぐに、保護者の方から入学後の生活についての配慮事項についてお聞きし、感染症の予防などについて教員全員で共通理解を図ったことを覚えています。
彼女が2年生の時、私が保健の授業を担当していたので、「世界でただ1つ、この教室でしかできない授業をします」と生徒に伝え、保健の授業で臓器移植について私たち2人の体験談を話しました。彼女に協力を願うと、「みんなに臓器移植について知ってもらうことは私の使命です」と言って、二つ返事で引き受けてくれました。
彼女はその後、移植手術を受けた米国に半年間留学し、元気に帰ってきました。今でもときどき連絡をとっています。
「 世界でただ1つの授業」では、どのような話をしたのですか。
浦上さん:
彼女が移植をしていることは周りの皆が知っていたのですが、それについて誰も何も聞いたことは無かったので、「彼女は脳死後のドナーさんから、私は心停止後のドナーさんから提供を受けました」というようなところから話しました。座談会のような形で、皆からの質問を受けたりもしました。「世界に1つの話だから」と言うと、みんなそれだけでバッとこっちを向いて、興味を持って聞いていましたね。
他にも教え子の方とのエピソードはありますか。
浦上さん:
養護学校に転勤して2年目に、以前勤務していた高校の卒業生から電話をもらいました。保健の授業を担当したクラスの生徒で、「友達が透析を受けることになったのですが、どう話しかけたらよいかわからない」という内容でした。私自身のつらかった時のことを話し、「何も言わないで、寄り添うだけでいいよ」と答えました。友達のことを心配して電話をくれたこと、私のことを思い出してくれたことがとてもうれしかったです。
吉田先生:
素晴らしいですね。授業の中で、頻繁にそのような機会があれば、生徒もずっと覚えていますよね。
大切な家族のために
移植後の日常生活では、移植腎のために特にどのようなことに気を付けて生活をしていますか。
浦上さん:
高校では、陸上競技シーズン(4月~10月)に入ると、土日も休みなしでクラブ活動を行うため、平日の帰宅が19時過ぎになるなど、生活リズムが大きく変わりました。また、転勤2年目に結婚、その2年後に子どもが生まれ、就寝時刻が23時から24時ごろになり、月1回の定期健診での血液検査結果の数値が悪くなっていきました。「就寝時刻が遅くなったのが原因かな?」とも思っていたのですが、なかなか生活リズムを変えられずにいました。しかし、主治医から、「このままの状態が続くようであれば、最悪の事態も考えられる」と言われ、定期健診に行くのが怖くなりました。
その時に、ようやく就寝の時間を21時ごろと決め、1日の生活のリズムを変えました。すると定期健診での数値が徐々に良くなっていきました。現在でも就寝時間と適正体重の維持だけは守っています。
現在は職場から家に帰宅するのが19時半ごろで、食事・風呂・片付けをすると21時くらいになるので、すぐに就寝します。朝は5時に起床して、6時20分ごろに出勤するという毎日を送っています。
平日は、自分の時間を持つことはできませんが、1回目の移植腎摘出のことを思い出し、休日でもリズムを崩さず同じ時間で過ごしています。そのおかげで、血液検査の結果は大きく変動しません。内臓も睡眠をとって休ませるということが大切だということを実感しています。
早く寝て、リズムを整えるようになったら、調子がよくなったのですね。これには何か理由があるのですか。
吉田先生:
23~24時に寝るということは、実際に体が休むのは、夜中の1~2時ごろになります。活発に動いていた細胞が完全に睡眠に入るのは、就寝してから2時間ぐらい後なのです。ですから遅い時間に寝ると、本人は睡眠をとっているつもりでも、結局は体が睡眠不足になります。21時に寝て、翌朝5時に起きるというのは、ちょうどいいくらいの睡眠時間ですね。
日常の服薬や、血圧、体重等の記録はどのような方法で行っていますか。
浦上さん:
血圧の測定は自宅では行っていません。体重は、そのときの体の状態で、1kg以内の誤差であれば、体重計に乗らなくても分かるので、週1回土曜日に測定するだけです。それをパソコンで記録しています。また、薬は服用の時間に、振動で分かるものを身につけています。特に記録はつけていません。
2回目の移植後にご結婚されたのは、何かきっかけがあったのでしょうか。
浦上さん:
透析をしていた時は、本当に生きていくのが精一杯で、他の人に意識が行くことはなかったのですが、移植後、ようやく周りに目を向けられるようになり、現在の妻とも出会ったという感じですね。
今はお子さんも生まれて、ご家族との生活が充実されているのですね。
浦上さん:
そうですね。ですから、大切な家族のためにも、この腎臓には絶対に無理をさせないつもりです。「死ぬときは、腎臓以外の病気で死にたいな」と思っているくらいです(笑)。
メッセージ
吉田先生にお伝えしたいことはありますか。
浦上さん:
診察室に入り、先生のお顔を見て話をするだけで落ち着きます。今後ともよろしくお願いします。
吉田先生:
浦上さんが診察に来られた時は、診察は二の次で、面白い話ばかりしていますね(笑)。その後、「体調どう?」で終わりですが、データは必ず出して、お渡ししています。
それぞれのドナーの方への思いを教えてください。
浦上さん:
1回目の生体腎移植でドナーになってくれた父に対しては、3年間で移植腎を摘出することになってしまったので、感謝の気持ちよりも今は、「ごめんなさい」の気持ちの方が大きくて、体調管理ができなかったことをいつも後悔しています。
2回目の献腎移植では、ドナーのご家族の方に何回も感謝の気持ちを伝えようと考え、手紙も書いたのですが、考えがまとまらず、どの気持ちを伝えればいいのか整理できないままで実行に移せていません。現在、家族に恵まれ、新しい生活が送れているのは、すべてこの移植のおかげなので、ドナーの方、そしてそのご家族の方には、ただただ感謝するばかりです。
本当に、悲しみの中から移植の決意をしてくださり、私に新しい人生を提供してくださったドナーの方、そしてそのご家族に感謝と敬意を払います。これからも、頂いたこの腎臓を大切にして生活していきます。最後にドナーの方のご冥福をお祈りいたします。
現在、移植を検討している、または移植手術を待っている方へのメッセージをお願いします。
浦上さん:
提供をしていただいた側の立場からはお話しすることは難しいのですが、今、移植を待っている方には、「機会があるのであれば、迷わず移植をしてみてはどうでしょうか」とお伝えしたいです。
2回目の移植を受けてから約20年が過ぎました。腎不全になったのは25歳の時でしたので、あと数年で、元気な時と同じ年数を過ごしたことになります。今でも食事のとき、水分を取るとき、おしっこをするとき、幸せを感じます。仕事をして旅行もして、時間の制限のない普通の生活ができるということは、夢のようだと感じています。
吉田先生からもメッセージをお願いします。
吉田先生:
現在は医療技術の発展もあり、とても安全に移植手術ができるようになりました。もし、移植の機会を得られたのであれば、何も心配せずに、主治医の先生にお任せいただければと思います。