大阪医科大学附属病院 レシピエントインタビュー 第2回目は、約2年前にお母様がドナーとなり生体腎移植を受けた川嶋楓さんです。
川嶋さんは生後1カ月の検診後、両側の低形成腎と診断され、その後通院と服薬治療を続けていましたが、18歳の時に末期腎不全となり、19歳の時にお母様がドナーとなって生体腎移植手術を受けました。移植後は、誰かの役に立ちたいという思いから看護師を目指して勉強し、現在は看護学校で学んでいらっしゃいます。とても明るく元気な川嶋さんと、ドナーとなられたお母様から、移植に至るまでのお話や、移植後の生活についてお聞きしました。

川嶋さんが移植を受けるまでの経緯

  • 1995年7月(0歳) 生後1カ月検診後、両側の低形成腎と診断される
  • 1995年7月~2014年(0歳~19歳) 引越しのため何回か病院を変えながら通院を続ける
  • 2014年8月(19歳) 生体腎移植手術

厳しい運動の制限

楓さんは、生後1カ月で両側の低形成腎と診断されたということですが、診断後は通院を続けていたのですか。

お母様(ドナー)
楓は生後1カ月検診の時に体重が増えていなかったため、大きい病院を受診するように言われました。そして新たに受診した病院で両側の低形成腎と診断されました。
その後、引っ越しで何回か病院が変わりましたが、毎月通院して血液検査と尿検査を受け、服薬治療を続けていました。
※低形成腎:先天性の腎臓の発育不全で、正常の腎臓より小さく、腎杯やネフロンの数も少ない病態のこと。末期腎不全に至るまでは尿量が保たれることが多いが、血液データの悪化を認めてからの腎機能悪化のスピードは速い。両側の低形成腎の場合は、程度により腎不全に至ることがある。

毎月通院していたということですが、楓さんには自覚症状がありましたか。

楓さん
高校生になるくらいまでは、自覚症状はありませんでした。中学3年生の時、バレーボールの部活中に熱中症になり、クレアチニン値が上がってしまい、主治医から2日間は安静にという指示が出ました。それまで一度も学校を休んだことが無く、皆勤賞を狙っていましたし、そのときは自覚症状もありませんでしたので、休むのがとても嫌でしたね。
それ以降は長距離走などの激しいスポーツはできなくなりました。

中学生までは、生活上で特に制限をされることもなく、普通に運動もしていたということですね。

お母様
そうですね。当時の主治医からは普通に生活していいと言われていたので、他のお子さんと同じように運動もしていました。


移植前友達と

激しいスポーツを制限されてからは部活動なども止めたのですか。

楓さん
部活ではマネージャーをしていました。

お母様(ドナー)
楓は、プールの授業などには参加していましたが、長距離走の時などは見学していたようです。本人は「マラソンは嫌いやからラッキー!」とか言っていましたね(笑)。
ただ、見た目ではどこが悪いのか分からないので、周りの友達から、「何でやらないの?」と言われるのが嫌だったようです。

先生、低形成腎のお子さんは、どのような経過をたどるのでしょうか。

平野先生
降圧薬(アンジオテンシン受容体拮抗薬やアンジオテンシン変換酵素阻害薬など)を服用することによって、進行を遅らせる効果があることが報告されていますが、根本的な治療法はありません。両側が低形成腎の場合は、やはり末期腎不全に至る可能性があります。
ただ、子どもの腎不全で問題になるのは、成長障害ですので、おそらく楓さんの場合は、まずは成長を優先的に考えて、ある程度までは食事制限や運動制限をせずに治療を行うという判断をされていたのだと思います。

楓さん
以前の主治医からは、「20歳くらいになったら手術をしないといけないかもしれません」と言われていたのですが、私自身は何の手術かは分かっておらず、まさか腎移植手術だとは思っていませんでした。


腎移植という選択肢

その後の体調はいかがでしたか。

楓さん
大阪に引っ越し、こちらの病院を受診するころには、毎日体がだるく、しんどくていつもゴロゴロしていました。家の階段は手すりを使わないと上れない状況でした。


平野先生
楓さんは当院に紹介があった時点で、クレアチニン値が7~8mg/dL前後ありましたので、すぐに腎代替療法を検討しなければならない状況でした。まだ18歳ということもあり、当時の仕事も続けたいという意向もあったので、腎移植を考えてみてはどうかとお話ししました。

腎移植と聞いて、お母様はどう思われましたか。

お母様

お母様(ドナー)
3つの治療法を説明していただきましたが、血液透析は通院治療で1週間の半分はつぶれてしまいますし、腹膜透析も管理が大変そうでしたので、選択肢は腎移植しかないと思いました。ただ、心臓移植のために渡米される方のニュースをよく耳にし、移植にはかなりのお金が必要だと思っていましたので、費用の事は心配でした。ところが、日本で腎移植を受ける場合は医療制度が整っているので、自己負担はほとんどないと先生からお聞きして、とても驚きました。
また、以前はドナーとレシピエントの血液型が違うと腎移植ができないと聞いていましたので、私は楓に腎提供ができないと思っていたのですが、先生からお話を伺った際に、現在は血液型が違っても移植ができると知り、「それでしたらぜひお願いします」とお伝えしました。

ご自身の体のことは心配ではありませんでしたか。

お母様(ドナー)
「今まであるものがなくなったらどうなるのだろう?」とは思いましたので、心配が全く無かったわけではないですが、私はあまり深く考えない方なので(笑)、躊躇はありませんでした。
むしろ、移植に向けて検査を受ける中で、万が一がんなどが見つかり、腎提供ができなくなることの方が怖かったです。

楓さんはどう思いましたか。

楓さん
腎移植や透析のお話を聞きましたが、当時はコールセンターに勤務していたので、血液透析導入になると仕事ができなくなってしまうのではないかと思いました。
献腎移植も考えましたが、待機期間がとても長いということでしたので難しいだろうと思っていたところ、母が、「母さんのあげるで」と軽い感じで言ってくれ、最初はとても躊躇したのですが、移植に向けて話を進めることにしました。