2回目の移植手術へ
その後、献腎移植の登録はいつ頃されたのですか?
飯田さん:
年1回献腎移植希望の登録をする機会があるのですが、透析を開始して少し落ち着いた頃に登録をしました。ハイリスク患者の登録をし、その後名古屋第二日赤病院で献腎移植手術を受けました。
打田先生:
その当時の愛知県の献腎移植システムは、ご自分で希望の移植病院を決める権利はなく、手術を受ける時になって初めて指定された病院で手術を受けるのです。ただ、例外として『60歳以上の方、大きな合併症持っている方、再移植の患者さん』はハイリスク患者さんとして、移植手術を受ける病院を自分の意思で決めることが出来ました。飯田さんは、再移植ということで、名古屋第二日赤病院を希望できたわけです。
1回目の移植がうまくいかなかった事で、再度移植手術を受ける事に対して躊躇する気持ちはありませんでしたか?
飯田さん:
ありませんでした。1回目はたまたまうまくいかなかっただけだと思っていました。1回目の移植の際に、移植に関しての知識は十分に得ていましたので、不安はありませんでした。
2回目の移植の際、移植手術を受ける病院を変えようとは思いませんでしたか?
飯田さん:
透析も名古屋第二赤十字病院で受けていましたし、透析期間中に通院する中で、先生やスタッフの方々はもちろんのこと、掃除のおばさん、警備のおじさんにまでよくしてもらっていました。廊下ですれ違う際に、看護師さんに「体調どう?」と気さくに聞いて頂いたりして、病院というのか、病院で働く方々との人間関係、相性も良かったので、病院を変える気持ちはありませんでした。
多くの人への心からの感謝
2回目の移植(献腎移植)が終った後は、どの様な気持ちでしたか?
飯田さん:
嬉しい反面、腎臓を提供してくれた方の事を思うと、手放しで喜ぶ事は出来ませんでした。
手術後の体調はどうでしたか?
飯田さん:
徐々に良くなり、食事もとても美味しくなりました。水分制限も無くなりましたので、病院の食事でもフルーツが出た事を覚えています。
2回目の手術後は、これまでの約10年間で腸炎や肺炎などで4回ほど入院したことはありますが、現在は順調です。
手術後、一番嬉しかった事はどんな事ですか?
飯田さん:
1回目の手術後は色々ありましたので、4カ月弱位入院していました。体重もかなり落ち、自分の力で少し硬い水道の蛇口を開けたり、トイレに行く際の床の段差を越える事も厳しいような状況でした。
しかし、2回目の手術後は、自分の力で普通に歩け、お風呂に入れるようになったり、歯が磨けるようになったりと、普通の事が普通に出来るようになって本当に嬉しかったです。
手術後、生活はどの様に変わりましたか?
飯田さん:
引き続き主夫として家事、子育てをしていましたので、当たり前の事ですが、買い物に行って、その日の食材を買ってくるなど、自分でなんでも出来るようになりました。
腎臓を頂いて、その方やその方の家族に恩返しが出来ればいいのですが、それが難しい中で、単純に周りで困っている人がいれば進んで助けたりするなど、今では本当に普通に、周りの人にやさしく出来るようになったと思います。
何か趣味の活動もしていらっしゃるのですか?
飯田さん:
実はSMAPのファンなのです(笑)。めちゃくちゃなファンというわけでもないのですが、名古屋でのコンサートには必ず行っています。ペンライトを振って応援しています(笑)