低血糖の恐ろしさ

畔柳さんは低血糖で朝目覚めず、救急車で運ばれたこともあったそうですね。

畔柳さん
低血糖はしょっちゅう起こしていたので、朝起きる時間に部屋から出て来なければ、親が心配して見に来ていました。

低血糖を起こしているときには自覚症状があるのでしょうか。

畔柳さん
低血糖を起こしているときは、寝ている感覚とは全く違い、変な言い方ですが、もう死んでいるような感じと言いますか、息だけをしているみたいな感じです。救急車で運ばれた時のことは自分では何も覚えていません。気付いたら病院でした。
低血糖で意識がないまま車を運転してしまったこともありました。その時は、低血糖だと思い、運転する前にジュースを飲もうと思ったところまでしか覚えていなくて、そこからどんどん意識がなくなり、結局そのまま運転をしてしまったのです。病院で目覚めた時に、ジュースを飲もうとしたところで運ばれたと思っていたら、実は全然違う場所から運ばれていて、それ以来怖くて運転ができなくなりました。その時はマニュアル車だったのでエンストして止まりましたが、オートマチック車でしたらそのまま走っていたと思います。倒れたのが真冬で、しかも夜だったのですが、たまたま通報してくれた人がいたから助かりましたが、そうでなかったら死んでいたところでした。怖かったのと、良かったなぁ、というのと、もう何か複雑な気持ちでした。そのような場面以外でも普通に倒れることがしょっちゅうあり、ほんとに急に、バタッと倒れていました。

加藤さんも、そのようなご経験はあったのでしょうか。

加藤さん
私はありません。私は低血糖症状が強く出るタイプで、意識を失う前に激しい症状に襲われるため、低血糖で意識をなくす経験はありませんでした。
症状が出たら冷蔵庫のジュースを飲んだり、ブドウ糖を摂取したり、グルカゴン注射をしたり、その時と場所に応じて自分で処置していました。家でも、外でも、低血糖に対する備えはいつもしていました。
ですので、「自分は低血糖で死ぬことはないな」と思っていました(笑)
でも、1型糖尿病の患者さんは畔柳さんのように突然気を失ってしまう患者さんがほとんどです。家族が心配して、夜中に何回も呼吸をしているかを確認しに行くのです。本当に怖いです。

渡井先生
1型糖尿病の患者さんが気を失って病院に運ばれると、グルコース(ブドウ糖)を投与した途端に、パチッと目が覚めます。皆さん「あれ?あれ?どうしてここにいるの?」という感じです。

畔柳さん
私も一応ブドウ糖注射を持っていたのですが、いつも自分で打つ余裕はありませんでしたね。

膵腎同時移植の情報を求めて

膵腎同時移植に関しての情報や知識は、いつ、どのようにして得たのでしょうか。

加藤さん
移植については、一般の方と同じように、テレビなどで得られるくらいの知識はありました。透析導入をきっかけに腎移植を希望するようになってからは、献腎移植希望の登録施設となった名古屋第二赤十字病院の先生から、膵臓を同時に移植できることを教えていただき、以降は、膵腎同時移植の知識を求めて勉強会などに積極的に参加しました。

渡井先生、1型糖尿病の患者さんの場合、膵臓単独を移植する方と、膵腎を同時に移植する方はどのくらいの割合なのでしょうか。

渡井先生
1型糖尿病で腎不全を併発している患者さんには膵腎同時移植を勧めるということもあり、その割合は8割ぐらいになります。なぜ膵腎同時移植を勧めるかと言いますと、免疫抑制療法が今ほど良くなかったころは、米国でも膵臓単独の移植よりも、膵腎同時移植の方が、圧倒的に生着率が良かったのです。免疫抑制療法の進歩に伴って、今は両者の成績はだいぶ近づいています。

畔柳さんは、膵腎同時移植に関しての情報や知識は、どのようにして得たのですか。

畔柳さん
透析導入時に、将来的には移植という選択肢もあると簡単な説明をいただきました。その後は、インターネットを使って、自分で少しずつ調べました。

透析治療は順調でしたか。

加藤さん

加藤さん
透析導入した当初はすごく体が楽になり、「こんなことだったら、もっと早く導入しておけばよかった」と思いました。しかし、私は合併症が出るのがすごく早く、透析導入から3年半くらいでいろいろと症状が出始めました。そこからは、透析というよりも合併症のつらさとの闘いでした。
シャントトラブルもひどかったので、1カ月に1回、PTA(経皮的血管形成術)という血管に風船のようなものを入れて膨らませる治療をしていました。普通は何年かに1回行うような治療なのですが、私は毎月行っていました。シャントがなかなかうまく機能してくれなくて苦しかったですね。

畔柳さんはどうでしたか。

畔柳さん
私は3カ月に1回PTAをしていました。シャントは透析導入してすぐに3回くらい詰まりました。透析を始めてからもよく詰まり、PTAはしょっちゅうやっていました。
透析をしない日は、本当に体がきつく、食事もほとんど食べられなかったのですが、透析をした当日だけはすごく楽になったのと、スタッフの方も含めてとてもいい病院で、美人の看護師さんも居たので、透析を受けに行くのは楽しみでしたね(笑)。

連絡を待って

膵腎同時移植希望の登録後、どのくらいで移植の連絡があったのでしょうか。

加藤さん
私は、登録して1週間もたたないうちに最初の移植の連絡をいただきました。登録料を振り込んだ2時間後くらいだったので、びっくりしました。しかも、順位は2番目でした。「こんなことがあるんだ」と驚きながらも、「でも2番目だし、1番目の人に決まるだろうから、期待しちゃいけない、これは予行演習、予行演習」と自分に言い聞かせて病院に行き、移植ができるように準備をしました。しかし、夕方の6時くらいに、「1番目の方に決まりました」と言われました。期待しないようにしていましたが、その時はやはり落胆して家に帰りました。それ以来、実際に移植を受けるまでの数年間、1回も電話をいただくことはありませんでした。

2回目の連絡があったのは最初の連絡から数年後だったのですね。

加藤さん
そうですね。そのころは、「ちょっともう無理なのかな、ご縁がないのかな」という感じで思っていました。

一方で、畔柳さんはなかなか移植を受ける決心ができず、すぐには移植希望の登録をされなかったということですが、それはなぜだったのでしょうか。

畔柳さん

畔柳さん
しっかりと移植の勉強もしていなかったので、本当に良くなるのだろうかという不安が大きかったですね。手術が怖いということもありました。でも、透析だけではどうにも体がきつくなっていたということと、たまたま同窓会に参加して恩師と同級生に会ったら、「また元気になって再会したい」という気持ちになったのです。そこで、移植を決意して登録をしました。当時は腎臓の登録には半年くらいかかり、そこから膵臓の登録に1年くらいかかりました。ただ、登録をしてから連絡をいただくまでは結構早かったです。

膵腎同時移植希望の登録後、特に意識して気を付けていたことはありますか。

加藤さん
連絡をいただいたときに移植ができないことがないよう、感染症にかからないように気を付け、虫歯などもなるべくつくらないように注意していました。

移植の勉強会などには参加されましたか。

加藤さん
腎移植の勉強会に出て、最後の質問の時間に手を上げて、「私、膵腎同時移植希望の登録をしていて、ちょっと個人的なことなのですけれども」と断って、質問をして聞きまくりました。勉強会ではそれまで知らなかった知識をたくさん得ることができました。びっくりするような内容のものもありました。

どのような内容に驚いたのですか。

加藤さん
透析と移植の平均余命のデータを見た時は結構ショックでした。透析に入った年代と、人種別、性別のデータが出ていたので、自分が該当する「30代で透析に入った黄色人種の女性」というマップを見たら、少々古いデータでしたが、透析導入からの平均余命が16年だったのです。「46歳ではちょっと死ねないな」と思いました。そのようなこともあり、「やはり透析では長く生きられないかもしれない」と思い、より一層移植したいという思いを強くしました。

畔柳さんは、移植に向けてどのような準備をしていましたか。

畔柳さん
登録はしたもののあまり実感もなく、どのような手術をするのかも分かりませんでした。そのため、透析導入になってすぐのころ、たまたまテレビで放映されていた膵腎同時移植の番組を録画して、何十回も見てイメージトレーニングをしていました。「ご提供があります」という電話がかかってきたときに、移植を断る人もいると聞き、自分は絶対に、「受けます」と答えようと思っていました。これから移植を受けるということの実感を持つために、病院へも3~4カ月に1回、定期的に通っていました。