妻の愛情
腎移植という治療法があることはいつごろ知ったのでしょうか。
棚橋さん:
知人が献腎移植を受けたという話を聞いていたので、透析に入る2カ月前(1999年3月)くらいに彼に電話をして聞いてみたのです。そうしたら、「移植を受けてから調子がいい」と言うのです。それで、「彼が移植できるのだったら、私にもできるのかな」と思い、腎臓内科に入院していた時に、先生に聞きました。「私の友人は移植を受けたのだけれども、そういうことはできるのですか」と。すると、先生は丁寧に移植の説明をしてくださいました。その当時の説明としては、「ABO式血液型でドナーからの輸血が可能なことが前提で、その上で白血球の型が合わなければいけない。親子や兄弟であれば合致することもあるけれども、夫婦は他人同士なので少し難しいと思う。」という話をされました。
その時、たまたま妻が病室にいたのですが、妻の方から、「検査を受けてみましょうよ」と言ったのです。私はワンマンな亭主でしたけれども、いくらなんでも妻に、「検査を受けるから協力してくれ」とは言えませんでした。ですから、「これはありがたい」と思って、「それじゃ頼む」と伝えました。
奥様は移植に関しての知識をお持ちだったのでしょうか。
奥様:
その当時は、移植は遠い世界の話で、もちろん知識は皆無の状態でした。
まだ私たち夫婦が20代のころ、主人の母親が、「自分の腎臓を息子に」という話をしていたこともあったのですが、主人が、「僕の腎臓病は移植はできない、先は透析しか無い」と言っていましたので、「移植はできないのだ」と、ずっとそう思い込んでいました。
棚橋さん:
その当時は、そう思っていました。先ほどお話しした、高血圧の管理でずっと通院していた開業医からも、「最後は透析しかない」と言われていました。ただ、名古屋第二赤十字病院の腎臓内科の先生に聞いたら、「非常に難しいかもしれないけれど、HLA検査を受けてみましょう」となったわけです。「それであれば移植外科を紹介しましょう」ということになり、その際、日赤に「移植外科」があるということも初めて知ったのです。移植外科で検査を受けた後、その結果発表の日のことです。打田先生(現愛知医科大学病院)から、「いろいろなことは後回しにして、結論を言います。HLAの適合率※ は6分の5です。すばらしいマッチングです。宝くじに当たるより難しいものです。」と言われました。
「これはなんという奇跡が起きたのか、透析をしなくてもよくなり、救われた」と思い、とてもうれしかったです。
※ HLA(Human Leukocyte Antigen ):日本語では、「ヒト白血球抗原」といい、両親から遺伝的に受け継がれる白血球の型のこと。HLAは一対となっており、両親からその半分ずつを受け継ぐため、子供同士では4つの組み合わせがあり、兄弟姉妹間では4分の1の確率でHLA 型がすべて一致する。
しかし、他人同士でHLAの型がすべて一致する確率は、数百人から数万人に1人となり、極めて低い。
後藤先生、他人同士でこのくらいの適合率というのは、珍しいのではないでしょうか。
後藤先生:
たまにありますが、多いことではありません。
奥様:
私たち夫婦が移植を受けた当時は、夫婦間移植の場合、血液型はもちろんのこと、HLAの適合性についてもかなり重要視されていましたが、現在では血液型不適合でも移植は可能となっており、その結果、夫婦間移植もどんどん増加していますね。
不安を振り切って
奥様:
HLA検査の結果を聞き、2人で、「奇跡だ!」と喜びました。けれども、私は時間の経過とともに事の重大性に気付き、不安と心配が心を覆っていきました。昼間はいいのですが、夜暗くなって一人で居ると、「腎臓を1つ取るということがどういうことなのか」と考え、不安で怖くなりました。頭では理解していても、気持ちの最後のところで、「どうなってしまうのだろう」と、とても不安で涙が止めどもなく流れました。
現在、私が代表を務める、「生体腎移植ドナーの会」でも、手術を控えたドナーさんの中には、当時の私と同じように、「ドナーになることは覚悟して待ち望んでいますが不安です」とおっしゃり、涙ぐまれる方がいらっしゃいます。その時に、「私も一緒でしたよ」と言って、私が手術を受けた時の心情をお話ししますと、皆さん安心なさいますね。
当時は、移植を経験された方にお話をお聞きすることもできなかったと思うので、すごく不安だったのですね。
奥様:
そうですね。でも、私が心配そうな顔をしているのに気がついたのか、主人は、「怖かったらやめていいよ」と言ってくれました。「喜んで移植を待っている人の前で、私はそんな顔をしていたのか。それは申し訳ない。」と思って、それからは努めて明るく、「私も移植手術を楽しみに待っている」という顔で過ごしていました。主人はとてもうれしそうでしたね。
棚橋さん:
私は移植手術を受けられると思い込んでいましたからね(笑)。
そのころ、透析治療を開始しましたが、たった1~2回の透析でそのつらさが分かりました。1回につき4~5時間拘束されますし、透析が終わると、ぐったりと疲れていました。今日の透析で明日が何とかもっても、明後日がまた透析だと思うと、「機械でコントロールされる人生で自由がないのは嫌だ」と思いました。
3~4回、血圧が急降下したこともあって、これはもうとても長くは生き続けられないと思いました。肉体的、精神的、そして食生活、日常生活のあらゆる面で制約が入るので、「移植を受ければ、そのようなことから解放される」という思いでいっぱいでした。
移植の話を聞いてから3カ月で移植をされていますが、当時は移植が決まってから実際の手術までの期間は短かったのでしょうか。
渡井先生:
1999年ごろの当院の移植件数は、年間で30~40件です。週に1回程度の頻度だったので、現在のようにスケジュールが詰まっているという状況ではありませんでした。ただ、移植前3カ月の準備というのは、準備期間としては十分だと思います。
現在は移植することが決まってから、実際の移植手術までの期間はどれくらいですか。
後藤先生:
だいたい半年くらいです。最近は先行的腎移植(透析導入せずにおこなう腎移植)が多いので、うまくスケジュール調整をするようにしています。