生きる道はそれしかない

その後、移植手術へ臨んだわけですが、そのころには奥様の方も、「やるしかない」と気持ちを固めていらっしゃったのでしょうか。

奥様
「やるしかない」と言うより、「主人が生きる道はそれしかない」と思ったのです。それと、当時の主治医であった打田先生(現 愛知医科大学病院)が、「棚橋さんご夫婦の手術は700何例目です」とおっしゃったので、それを聞いて安心できました。「そんなに前例があるということは、私が心配することは何もない。心配するようなことがあれば、こんなにたくさん移植が行われているはずがないから。」と思いました。

手術前には何か奥様とお話されましたか。

棚橋さん
特に話はしていないと思います。私はうれしいばかりでしたから(笑)。
手術後に、妻のおなかの傷が30数cmということを知った時には、「そんなに大きい傷だったのか」と驚きました。


奥様
主人は、「傷痕は、自分の方が大きい」と思っていたそうなのです。今はドナーの手術は腹腔鏡手術ですので傷はわりと小さいと思いますが、当時は開腹手術でしたので、傷が大きかったですね。付き添ってくれた人がメジャーで傷痕を測ってくれたのですが、32cmもありました。水曜日に手術で、その7日後にやっと抜糸、というように、ベッドから降りられるようになるまで、それだけの日数がかかりました。
私はそのような状態だったのですが、手術後毎日、午前と午後に主人から、「自分の部屋に来るように」と看護師さんを通じて伝言が届くのです。「私はまだ動いちゃいけないのだから、動けるようになったら行きます」と返事を返すのですが、また他の人に頼んで、「早く来てほしい」と(笑)。私の傷がそんなに大きく、まだまだ何本かの管につながれているとは思っていなかったのですね。
手術の7日後には、順次管も外され抜糸していただき、真っ先に主人の部屋を訪ねました。そして傷口を見せたら、主人は顔色が変わって言葉を失っていました。たぶん主人は忘れていると思いますけれども(笑)、「そんなに大きな痕を残して悪かったね」と言ってくれました。


渡井先生
現在は、鏡視下手術で腎臓を摘出するため、腎臓を取り出すために1カ所だけ、7cmくらいの創が必要です。
後は1.5cmの創が2つと、0.5cmが1つです。今は手術後の痛みの管理も進歩しているので、棚橋さんが手術を受けられた時よりも楽だと思います。

術後の経過はどうでしたか。

棚橋さん
手術4カ月後には急性拒絶反応で約1カ月半入院しました。1年後には白内障で手術、2003年には骨粗しょう症になり、その後圧迫骨折しました。また、移植して間もないころは、ヘルペスにも悩まされましたね。
また、手術後から1~2年の間服用していた免疫抑制剤は、25mgと50mgのカプセルしかなかったのですが、その組み合わせで、私は60mgくらいの服用量にしなければならなかったので、これを合わせるのが大変でした。その後、改良された新しい薬に変更してからは状態が安定したと思います。急性拒絶反応が出たのは、おそらく、免疫抑制剤の服用量の調整が難しかったからだと思います。

後藤先生、現在の急性拒絶反応の頻度はどれくらいですか。

後藤先生
現在はとても少なく、移植後1年間で5%以下くらいです。


解放された心と体

移植をしてから一番良かったこと、うれしかったことはどのようなことですか。

患者会の忘年会にて

棚橋さん
保存療法後半に感じていた苦痛や、透析の際の苦痛から解放されたことです。
まずは、機械で生かされ、自由がなく、将来の展望がないというような精神的苦痛から解放されたこと。そして、乏尿や貧血、かゆみ、透析中の血圧の急降下などの身体的苦痛から解放されたことです。最後に、食事制限や水分制限、仕事の制限など、日常生活を制約される苦痛から解放されたのが、最高の喜びでした。移植を受けられたことは、学生時代の司法試験合格に次いでうれしいことでもありましたね。

奥様は移植後、どのようなことがうれしかったですか。

奥様
手術後、病院で、主人の朝食に一つの梅干し、一杯のお味噌汁が出されているのを目にしたとき、二人で、「本当にこれを全部食べていいのだろうか」と話し合いました。結婚以来、主人は梅干しを丸ごと食べることはなく、また、お味噌汁も具だけ食べ、汁は残すというのが長年の習慣だったので、本当に驚き、感激したのを覚えています。これからは一緒に普通の食事がいただける、共に外食も楽しめる、普通の生活ができるということに感謝いたしました。

移植後は奥様とご旅行などもされていますか。

棚橋さん
私は昔から、いずれ透析になると思っていたので、「透析になったらもうどこへも行けないだろう」と思い、32~3歳の時から透析をする直前まで、1年に1~2回は海外に行っていたのです。
「もう十分に行ったから満足した」と思っていたのですけれども、移植後は1泊2日ですが、年に4~5回は必ず国内旅行に行っています。妻と一緒にこれからも行こうと思っています。
また、外食も1カ月に2~3回はして、以前から好きだったお酒も飲んでいます。
家では焼酎に梅酒にワイン、ウイスキーのオン・ザ・ロックなどを適量楽しんでいます。「γ(ガンマ)- GTPの数値(肝機能の数値)はどのくらいか」と気にしながらも、飲んでいますね(笑)。


ご夫婦での海外旅行


奥様
主人は、飲むお酒の種類は多いのですが、量は多くないので、特に問題はないそうです。それよりも、「料理の種類をたくさん作れ」と言われるのが大変ですね(笑)。

でも、奥様はたくさんの種類の料理を作られているのですよね。

奥様
そうですね。主人には長生きしてほしいので(笑)。移植前は、「60歳まで生きたいけど生きられないかもしれない」 と言っていたのですが、移植後は、「平均寿命まで生きられるね」と言っています(笑)。


棚橋さんご夫婦

棚橋さん
平均寿命まで、あと8年ですね。もっと生きそうだから、困ったな(笑)。
私の記憶では、「60歳まで生きられないかもしれない」と言っていたのではなく、「60歳で仕事は辞める」と言っていたのですよ(笑)。そう言っていたのですが、57歳の時に移植を受けて、65歳くらいまではしっかりと仕事をしていました。時には若い人に仕事を任せようとしたのですが、私はどうしても自分でやらないと気が済まない性格なのです(笑)。でも、最近はそろそろ辞め時だと思っておりましたので、事務所はこの3月で引き払います。同じくらいの年代の人は、みんなリタイアしていますからね。これからは、なるべく朝と夕方に散歩をしようと思います。動かないと筋力が落ちてきますし、腰や背中が痛いからといって、歩かなくなれば寝たきりになる恐れがありますので、それだけは気を付けていきたいと思います。