東京医科大学八王子医療センター レシピエントインタビュー第3回目は、約2年前に、お母様がドナーとなり、生体腎移植を受けられた佐藤真吾さんです。佐藤さんは37歳の時に突然末期の腎不全と告げられ、透析か移植かという選択を迫られました。お母様からの温かい申し出により、プリエンプティブ(透析を経ない)移植をされることになり、移植手術までの数カ月は奥様の強力なサポートにより、厳しい食事療法を続けられました。移植後の現在、体力を取り戻し、お仕事でも活躍されている佐藤さんから、人生の転機となった「移植」についてお聞きすることができました。
佐藤さんが移植を受けるまでの経緯
- 30代後半 疲れやすくなりむくみが出始める
- 2011年(37歳) 末期腎不全と診断される
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2011年11月(38歳) 生体腎移植手術
お酒が飲めなくなって
腎不全の症状は、いつごろから出始めたのでしょうか。
佐藤さん:
中学生のころから、健康診断で蛋白尿を指摘されることはありましたが、特に病院を受診することはありませんでした。30代後半になると、妙に疲れやすくなり、むくみが出始めました。また、風邪が治りにくくなり、今まで飲めていたお酒も、あまり飲めなくなりました。
体調を崩される前までは、お酒は結構飲んでいたのですか。
佐藤さん:
そうですね。ウイスキーは、1週間で1本~1本半くらいは飲んでいました。アルコール度数の強いものをストレートで飲むのが好きでしたね。バーボンやテキーラを一通り試した後は、ジンやウォッカなども飲んでいました。当時は独身だったので、よく1人で一晩中飲んだりもしていましたね(笑)。
それが、30代後半になって、急にお酒が飲めなくなったのですね。
佐藤さん:
そうです。酔いが回るのが早くなり、飲んでいてもすぐに吐いてしまうこともありました。「おかしいな?前はこのくらいの量じゃ酔わなかったのに…」と思っていたのですが、風邪が治りにくいこともあり、地元の病院を受診したところ、「腎機能の数値がまずいことになっています」と言われ、八王子医療センターの腎臓内科を紹介されました。腎臓内科を受診すると、いきなり、「末期の腎不全です」と言われたので、最初は冗談かと思いました。透析が必要になる人というのは、病人のように、もっとげっそりと痩せているイメージがあったので、「俺、普通に生活しているんだけど」と思いました。当時は普通に夜遊びもしていたくらいですので(笑)。
末期腎不全と診断された時は、ご結婚はされていたのですか。
佐藤さん:
はい。子どももいました。八王子医療センターを紹介された時に、妻には、「ちょっと風邪をこじらせただけだから平気だよ」と言っていたのですが、妻からは、「すぐに診察を受けてきて」と怒られましたね。
奥様:
主人は病院へ行く前から、度々調子が悪いという話をしていたので、一度しっかりと検査をしてもらった方がいいと思っていました。会社の健康診断でも高血圧や尿蛋白を指摘されていました。
腎臓内科で、「末期の腎不全です」と言われた時にはどのようなお話があったのですか。
佐藤さん:
「早めに透析か移植を考えた方がいいです」というお話があったと思います。その時は、「仕事のこともあるので、少し考えます」というお返事をしました。私は電気工事業を営んでおり、現場に行って力仕事をすることもありますので、「透析を受けながら仕事をするのは難しいだろう」と考えていました。
奥様:
私の記憶では、確かその時は、「まずは透析だと思います」というお話があったと思います。「透析をすれば生きられるけれども、しなければ生きられない」というような感じでしたので、「それであれば、透析をするしかないでしょう」と思いましたね。その後、いろいろと本などで調べるうちに、今は血縁でない配偶者でもドナーになることができ、夫婦間移植をされる方も結構いらっしゃることを知り、「移植という選択肢もあるな」と思い始めました。
佐藤さんご自身も、「透析ではなく、移植をしたい」と思ったのですか。
佐藤さん:
「最後は透析しかないだろうな」と思っており、病院からは、「腹膜透析というものがあり、若い人もやっていますよ」というお話もお聞きしたのですが、心の中では、「可能であれば、移植して普通に働ける道を選びたい」と思っていました。
家族会議
どのような経緯でお母様がドナーになられたのですか。
佐藤さん:
「透析か移植をしなければならない」と言われたので、私がそれぞれの治療について母に説明したのですが、母も、「移植の方がいいのではないか」と思ったようです。そのため、家族会議が2回ほど開かれました。私の姉2人とそのご主人、母、妻に集まってもらい、経緯を話したのですが、まずは、「普段のお前の健康管理が悪いからだ」と怒られ、吊し上げられましたね(笑)。
どなたから怒られたのですか。
佐藤さん:
姉たちからです。特に、一番上の姉とそのご主人からですね。私の父は早くに亡くなっていて、姉やそのご主人は、末っ子である私のことをとても気にかけてくれていたのだと思います。そのため、本当にかなりへこむくらいに強く言われました。2回目の家族会議で皆から了承をもらいましたが、その時もまた厳しく、「親からもらうということは、どういうことなのか」ということを念押しされました。そして最後に私から、「すみませんが、よろしくお願いします」と言って、母から提供してもらうことが決まりました。
ご主人が、ご家族の皆さんからいろいろ言われている時は、やはり奥様も大変でしたか。
奥様:
主人のそれまでの態度が悪かったので、仕方がないと思いました。恐らく、「今この機会に強く言っておかないと、この子は聞かないだろう」と思ったのだと思います。皆が、「前々から言おうと思っていたんだけど…」と言っていましたので(笑)。
佐藤さん:
あの時のことは、本当に、今思い出してもつらいですね。胸がチクチク痛みます。でも、その経験があったからこそ、「母親や姉や自分の周りの人たちを大切にしよう」という気持ちが強まりましたね。
家族会議の時には、もしかしたら、「移植は駄目だ」と言われるのではないかと思っていましたか。
佐藤さん:
皆から、「駄目だ」と言われると思っていたというより、自分の方がキレてしまって、「それなら、いいわ」と言いそうになっていました。そこでこらえることができたのは、やはり大切な妻と子どもが居たからですね。もし独身だったら、「そんなことを言われてまで、やるもんじゃないだろ。もういいよ、透析するわ。」というような感じになっていたかもしれません。独身の時は本当に破天荒だったのですが、家族ができて、自分も変わりましたね。