つらい現実
娘さんへの臓器提供を終えた時はどのような心境でしたか。
お母様:
全く安心できませんでした。自分が麻酔から目覚めてしばらくすると、血栓症で子供が危険だと知らされました。そのまま血栓を除くための手術が続行され、娘はICUに入りました。その瞬間は手術を受けたことを後悔しました。
三浦先生、小児の移植手術での血栓症はどのくらいの頻度で起こるのでしょうか。
三浦先生:
もちろん頻繁にあることではなく、文献をみても2~3%程度の頻度ですが、小児の移植の場合は大人の大きな腎臓に小さな体で血液を送るため血栓症は起こりやすく、これが手術後のトラブルでは一番問題になります。実優ちゃんはその時は生きるか死ぬかの状態でしたので、私は2カ月間くらいほぼ病院に缶詰で治療を続けていました。
2回目の移植へ
お母様:
その後、再度腎移植が出来る状態になり、希望が出てきましたが、自分の親族にはもうドナーになれそうな人がいませんでした。ただ、次の移植も急ぐ必要がありました。
そんな時、娘の伯母(夫の姉)がドナーになってくれるという話があり、目の前にある問題は多かったのですが、子供の将来が透析につながれる人生になることを考えると“やるしかない”と腹を決め、三浦先生を信頼していましたので全てをお任せしました。
娘の伯母は当時、「自分と血のつながった姪っ子を助けられるならいいよ。自分も母親なので、助けてやりたいと思う」と言ってくれました。短期間でよく決断してくださったと思いました。
2度目の移植手術後の経過はどうでしたか。
お母様:
2度目の移植手術はうまくいきましたが、短期間に2度の移植手術を受けたダメージも大きく、トラブル続きでしたので、元気になるまでには長く時間がかかりました。当時は、「移植したら元気になると思っていたのに」という思いが強かったです。
三浦先生:
2回目の手術は、1回目の手術でできた血栓の影響で、下大静脈がつぶれてしまい、それを作り直す必要もありとても大変でしたが、移植した腎臓はきちんと機能してくれました。ただ、移植後は、今度は腸の吸収不良などで免疫抑制薬の調整に大変苦労しました。数々の問題を一つずつ丁寧に解決していきました。結局、移植後1年くらいはいろいろありました。
お母様:
薬の調整に苦労していたころは、40度近い熱を出す日が続くなど、本当に大変でした。また、生まれてからずっと病気中心の生活でしたので、病気による発達への影響をとても心配していました。髄膜炎の後遺症のてんかんもあり、更にEBウイルスの感染※もあったため、心配は尽きませんでした。
移植後約2年間は弱々しいままで、気を遣うことも多く、健康状態は手術前とあまり変わらないように思えました。自宅で生活できるようになりましたが簡単に普通の生活ができたわけではありません。まず、発達医療センターで機能訓練に通ったり、地域の保健師とお話したり、風邪など感染に留意しながら少しずつ外出し体力をつけることや、外の世界に触れさせることを特に意識して過ごしました。子どもなので公園で遊ばせてやれるようになったことがうれしく、出来る限り短時間ですが毎日のように筋肉や脳の刺激になるよう外出しました。徐々に今まで諦めていたことや我慢していたことをやれるようになった時、普通がこんなに幸せなものかと思いました。
※EBウイルス感染:免疫抑制下で悪化するとPTLD(移植後リンパ腫:リンパの癌)を発症することがある。